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手料理
  • 2017/01/13
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みったんの芋煮なべ*リメイクカレー蕎麦

参考にしたレシピ
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毎年恒例の大好きな芋煮鍋。
これは去年の11月雪が降った日に作ったスナップです。
11月にまさかの雪なこの日父が私の代わりに息子をスクールバス停まで迎えに行ってくれたので
3人でうちでご飯食べました。
子供の頃から大好きだった芋煮鍋にイカとワカメの和え物…翌日の朝も雪で危ないからと父が息子とバス停まで登校してくると言っていて
歩とおじいちゃんじゃどちらかと言えばおじいちゃんの方が危ないよね❗なんて話ながら
うちの団地の階段は雨や雪の日は凄く滑りやすくて危ないから帰りは気を付けてね❗って言うともぉ来るとき滑ったよ❗なんて言う父にやだなーって笑いながら
そんな他愛のない1日でした。
私は子供の頃誰にでも直ぐに怒鳴り散らしたりする父が好きではありませんでした。
字が書けるようになった保育園時代真っ先に母にお手紙を書きました。
内容は「お父ちゃんと離婚してください。
お母ちゃん、殺されてしまいます。」と毎日お手紙を書いていたほど私は父が怖かったんです。
でも母が死んだ時誰もが驚く程の盛大な葬儀を挙げ母の位牌を抱え母の田舎の山形の母の実家のおばあちゃんの家の前で雨の中父は一人泣いていたそうです。
父が泣いたところは私は1度も見たことがありません。
初めて父の母への後悔や想いを感じましたが
母の葬儀の時泣き崩れる私に「泣くな、これからも俺たちは生きていかなきゃならないんだから」と言った父に私は「触らないで」と睨み付けてしまいました。
でも母が亡くなってからの父からは母の分までもの愛情を貰ったと思います。
私が出来婚で妊娠したと父に告げたときも父はほうれん草とお豆腐の和え物を作ってくれたのを覚えています。
父は何も言わなかったけど私の身体への気遣いを感じました。
孫の歩の事も障害など関係なく全てを受け入れて可愛がってくれました。
離婚しようと思うと告げたときも何も言わずただ帰ってこいと言ってくれました。
父は息子にとっておじいちゃんでありパパであり友達でもありと最高のかけがえのない存在になってくれました。
私はそんな父に本当に支えて貰っていました。
なのに、子供の頃の想いと自分の余裕のなさから父へ感謝の気持ちを伝えた事もなくいつも文句ばかり言ってしまっていました。
父は詳しくわ話せませんが母の死などから病院に対して不信感を持ち具合が悪くても全く病院にいかなくなってしまってました。
父の死因は胃潰瘍で死ぬような病気ではなかったんです。
解剖の結果大きな穴が開き出血死と出ました。
これほどの大きな穴は直ぐにあくものではなく数ヵ月も前から痛みや貧血、咳などの症状があったハズだと言われました。
父とは毎週(日)会っていて3人でご飯を食べてその後いつも息子をボーリングに連れていってくれ
その間ゆっくりお風呂に入ったり自分の事をする時間を私に与えてくれていました。
最後に父と出掛けた12月18日この日の前に会った時から父は見るからに具合が悪そうでした。
食事もほとんど食べずお風呂にも入っていない様子だったので私がちゃんとお風呂に入って食べるもの食べるようにその時も御説教すると18日にはお風呂にも入り散髪までし洗濯物もしっかりやってありました。 
でもぐったりしてしていて父はだらしなくていつもゴロゴロしている人なのでその時もなんでいつも寝てばかりいるのか(私は父が鬱病にでもなったのかと思ってしまい)御説教してました。
父は何も言い返す事もなく具合が悪いとも一切言わず息子にX'masプレゼントを買ってくれいつものようにご飯に連れて行ってくれました。
でもほんの数口食べただけで食べるのをやめてしまいしかももどしそうな感じになっていたので父に「具合が悪いんじゃない?」と訪ねましたが「何が?何でもない」と言ってその日も息子をボーリングに連れていってくれました。
帰ってきて23日はうちでX'mas会だからね❗と言うとじゃぁ🎂買っていくと言うので25日はまたおじいちゃんのおごりでX'mas会なんだから手ぶらで来てと約束して息子とお正月や毎年行っているどんど焼きの約束もして母のお墓参りにも行こうや元旦からボーリングに行くと張り切っている息子に行こうね❗また待ってるからね❗と約束して別れました。
でも23日行けなくなっちゃったと電話が来て風邪でも引いたの?と聞くとうん。という父にあっそ!と私はまた冷たく言ってしまいました。
その日はおじいちゃんが来れなくなったので息子は大暴れで実は私も風邪をひいていたので息子に暴れられ散々でしたが25日を楽しみにしていたら25日には電話にも出てくれずこの時気づいて病院に連れていくべきだったのに家に行くと丸まって父は寝ていて電話も出ないで❗と私はまた怒って歩に謝ってよ❗おじいちゃんは怠け病なんだからって酷いこと言いながら汚れた部屋を片付けて帰りました。
父はその時も何も言い返さず具合が悪いとも言わず「あゆごめん」と謝りました。
でも何か変だなって父には約束すっぽかされたことは何度もあるけど電話に出てくれないことは今までなかったなと思い仕事の後覗いてみると明らかに具合が悪そうでした。
大丈夫?と声をかけるとうん。と言いましたが全く何も食べてない様子で部屋もいつも汚いのに前の日に私が片付けたままで綺麗だったのでおじいちゃん物凄く具合が悪いんだと思い何か作ってこようか?と聞くとうんと言うので食べれる?と聞くとうなずいたので少し安心してもぉじゃぁ後で持ってくるからって言って夕方息子と🍙持ってきましたが凄く具合がわるそうだったのでもうすぐお正月休みになるから具合悪いなら今病院行かなきゃダメだよと言いましたが父は行けないと…連れていってあげるからと言うと無理だからと…この時救急車呼べば良かったと本当に後悔してます。
息子が今までにないおじいちゃんに動揺したのか家を飛び出してしまいこの時もおじいちゃんに歩飛び出しちゃったじゃん❗もぉしっかりしてよ❗と言葉を残し帰ってしまいました。
でもなんだか凄く心配で父の直ぐとなりに住んでいる叔母に父の様子がおかしいと電話しましたが毎回病院に行くように話して喧嘩になってるだけに叔母も行きにくく明日もう一度仕事の後私が様子見てまだ具合悪そうなら病院連れていこう❗って話しました。
でも仕事中凄い胸騒ぎがして今日仕事終わったら真っ先に行って文句は言わず病院行こうって心配だからって素直に言って連れていこう❗ってどうしょうもない胸騒ぎの中父の家に飛び込むと苦しそうに寝ているおじいちゃんがいて
おじいちゃんって顔に触るともぉ冷たくなってました。
擦っても擦っても呼んでも呼んでもおじいちゃんはもぉ
こんなに助けてもらったのに支えてもらったのに私は最後まで父に優しく出来ず後悔している父に母の事も責めて感謝の気持ちも伝える事なくたった一人で死なせてしまいました。
出来ることならこの芋煮鍋一緒に食べた日に戻りたい。
父の死を変えられなくても父に謝りたい、感謝の気持ちを伝えたいです。
父は最後まで具合が悪いとも辛いとも一言も言わず逝ってしまいました。
息子は死んだおじいちゃんを見て落ち着いていたてんかん発作を起こし倒れてしまい
一睡もせず声が枯れるまで叫び続け
自分の事も私の事も毎日殴り続け学校も何もかも行かないと頑なに言っていました。
それが安定剤や睡眠導入剤を服用しながらですが三学期が始まる1日前に突然学校行けるとデイやフットサルも頑張る、おじいちゃん喜ぶからと自分から言ってくれました。
暴れだしたりすることもなくなり夜も眠れるようになりまるで父が力を貸してくれているかのようでした。
私はこの後悔からか今だ泣いてばかりどうしても父に謝りたくて感謝の気持ちを伝えたくて
前に進めずにいます
父に伝えたい…離婚してからの私は父が居たからやってこれました。
ここにこんなに長く書いても父に伝わるのか
もぉ父は答えてはくれないおじいちゃん聞こえますか?
まだまだ一緒に居たかった。
どぉして救急車呼ばなかったのかな
呼んでたらおじいちゃん死ななかったハズなのに
せめて電話を枕元においておけばよかった
私がいつも忙しい忙しいって言ってたから辛くても言えなかったのかな。
何もかもが後悔です。
こんな投稿でごめんなさい。
父に想いを伝えたい
父と娘って、血が繋がってるからこその摩擦が浮き彫りになる時期があるよね。
私も一時期父が関わってくるとトゲトゲしい言葉で言い返していた時期があったな…って、チクっとしちゃったわ。
でも、お父様がみったんを無骨ながらも思いやる気持ちも、逆にみったんが不器用ながらもお父様を思いやっていた気持ちも、文章からヒシヒシと伝わって来たよ。
二人は時々反発しながらもよく似ていたんだね。←嫌だったらゴメンね。
だから、お父様もきっとみったんの気持ちは言わずとも分かってたと思うよ。
歩くんもきっと亡くなってからもおじいちゃんの存在を感じていたんだろうね。いっぱい考えて分からなくなって…でも一生懸命それを乗り越えようとしてるんだね。凄い事だと思うよ。
みったんがこんな風に気持ちを吐き出す事で、少しでも気持ちの整理がつくなら、無理に明るくふるまう必要はないと思うよ。
こちらは何も出来なくてもどかしく感じてるぐらいだけど、こうやって話を聞くぐらいは出来るからね。
みったんがいつの日か「お父さん」との思い出を、穏やかな気持ちで振り返れる日が訪れます様に♡急ぐ必要は全くないと思います(*^^*)
みったんの想いきっと届いてるよ。
可愛いい娘とお孫ちゃんとの楽しい団欒。
お父様は幸せな時間を過ごせたと思うよ。
自分をあまり責めないでね。
お父さんはちゃんとわかってくれてたと思うよ。
大事な娘と孫とたくさんの時間を過ごせて、一緒にお出かけしたり、ご飯を食べたり・・・。
娘にお説教されるのも、幸せだったと思う。
今も歩くんの傍にいてくれてるんじゃないのかな?
私は実家から離れて暮してるから、もう数年両親には会ってないんだよねー💦
顔を見せに帰って来いとは言われるんだけど、ついつい「時間も金もない」ってあしらっちゃってる・・・。
もしものことがあった時に、「もっと会いに帰ってれば・・・」って後悔しそうだなーっていつも思ってるよ😥

芋煮鍋も一緒に食べられて幸せだったと思うよ😊
プラウさん
こんなくらーい投稿にコメント頂き
しかもなんともありがたいコメントでなんだか涙が止まりません。
私、こんなねくらな想いが巻き起こってるせいか昨日突然発熱してダウンしてしまいお返事も遅くなってしまいすみませんでした。
今日大分熱が引いてまた父が死んだ現実が受けいられず全て夢だったんじゃないかとそんな思いです。
でもプラウさんのコメントで少し楽になりました。
酷いことばかり言ってしまっていて感謝の気持ち1つ伝えられなかったけど父に届いているのでしょうか。
みったん から 真希
真希さんなんともありがたいコメントをありがとうございます。
本当に酷いことばかり言ってしまったけど伝わっているのかな…
父はきっと10月に一緒に旅行に行った頃もしくわもっと前から症状が出ていたように思います。
旅行の写真父の顔がやけに白いなって気になっていたんです。
もぉ貧血の症状が出ていたように思います。
9月頃だっからその頃からずーっと風邪薬を飲んでいてあまりにずっと飲んでるからこんなに飲んでも直らないなら病院行かなきゃダメだってその時も行ったんですよ。
胃潰瘍って咳などの症状も出るそうなのでもっと知識があれば気づけていたのに。
父はそんなに辛かったのに
この日もどんどん食欲がなくなってきていたのに食べてくれて後から知る事実に胸が痛いです。
そして父は夏くらいから片目おかしくて目どぉしたの?って聞いたときもん~眼医者行こうと思ってるんだよね位にしか言ってませんでしたがゆくゆくは全く目が見えなくなる失明すると昔から宣告されていたそうです。
若い頃に喧嘩で殴られて神経を傷つけてしまったのが原因だそうで
私がまだ離婚する前からその症状が出始めたそうで一瞬何も見えなくなってしまうようで車の運転もやめたそうです。
叔母から事情を聞き私は年で運転能力が落ちて免許返したのかと思ってましたがそんな事を後から知ると辛いです。
父は本当に自分が辛いって事や失明するかもしれない恐怖等も一切口にしなかったのでなにも知らずにお説教ばかりしていたことに胸が痛みます。
みったん から みきお
みきおさん
ありがとうございます。
本当に後悔ばかりですが毎週父がご飯に連れていってくれていてその時私と息子が特に息子がもりもり食べているととっても嬉しそうで感謝の気持ちは一切言えませんでしたが美味しいって言葉だけは毎回のように父に言ってご馳走さまと伝えました。
唯一素直に言えた言葉です。
不思議と美味しいって言葉は素直に言えたので感謝の気持ちも込めて美味しいって毎回食べました。
少しは伝わっているといいな。
みったん から めぐチー🌿
めぐぴょん…
兄もね仙台に住んでるから滅多に帰ってくることはなくて父が死んだとき一度くらい旅行にでも連れていってあげれば良かったと涙してました。
今でも父の声が聞こえてきそうでこんな大切な存在だったのにって後悔ばかり毎週(日)を一緒に過ごしていたので(日)はもぉ何をしていいのか…
あんなにあっという間な(日)の1日が恐ろしく長く感じます。
桜央里 から みったん
みったんさん

うまく伝えられないけど
親子だから、どうしても冷たく当たってしまったり、キツく言ってしまったり、感情を思いのまま伝えてしまうよね…
でも、それは親子だからこそ、愛情があるからだよ。

お父さん、きっと、分かってくれてると思う。

親子ってそういうものだから。

私が、一昨年 とってもとっても辛い別れがあった時、最後までそんな日が近くに迫っているとも知らず、叱ったりしてしまった経験あります。しかも、病気をもっと早く分かってあげられなかった、自分を責めたり、しばらく後悔したり、道端でも人目もはばからず大泣きして、、

でも、、ある人に言われたのは

私が後悔ばかりしたら、自分との一緒の時間を全て後悔してるって思って、悲しむよ??

そう言われました。

それから、少しづつ良かったこと、楽しかったことに思いを向けられるようになりました。

スグには難しくても、みったんさんが少しづつ、、後悔の思いより、いい事の方が大きくなっていったらいいと思います。

みったんさんにとって大好きなお父様。そしてお父様も、みったんさん、步くんが、大好き、大切だったんだね。

最後の最後まで、いつもと変わらない
日常のやり取りだった、特別ではなく日常だった、それはきっと、もしかしたら幸せなことだったかもって思えるようになれたらいいな。

私もそこは努力中なの

うまく伝えられないけど、みったんさん、後悔より、感謝や楽しかったことがおおきくなっていって、ふわっとした気持ちで思い出せる日が来ますことを願っていますね。

焦らないで。今は自分の正直な気持ちも大切だからね。

無理に変えようとすることはないよ
みったんさん

みったんさんのお父様、わかってますよ。
親も年をとるともどかしくて、いろいろ言ってしまうことありますよね。
でもそれよりも心配してること、大事にしてることは伝わってると思います。
きっと素敵な思い出がたくさんあるからつらいんですよね。
それはみったんさんにとってもかけがえのないこと、そしてお父様にとっても、それ以上にかえがえのない素晴らしい時間だったと思います。
いいお父様もって幸せですね。
そして素敵なお嬢様をもって、お父様も幸せだったと思います。

まだまだ辛いと思いますが、無理せず身体に気をつけてくださいね。
みったん
私が思い出すのは、みったんがお父様のためにお料理を作っていたことやあゆむくんと3人でお食事していた様子や、みったんにお誕生日のプレゼントを買ってくださったこと。
お父様、いつもみったんとあゆむくんと3人でお食事するのをすごく楽しみにされていたと思うし、すごく嬉しかったと思うよ。
みったんがお父様を頼りにしていたように、お父様にとってもみったんは頼りであり支えだったと思う。

あゆむくんが乗り越えようとしている姿、凄いね。
みったん、ゆっくりゆっくりでいいから、いつかみったんがお父様の笑顔や楽しそうな様子を思い出せる日が来るように願ってるからね。
とにかくみったんは身体に気をつけてね。
みったん から 桜央里
桜央里さん
そんな辛い別れがあったんですね…
私なんかに話してくれてありがとうございます😢
涙が止まりません
母にも父にも何も伝えられずそして一人で死なせてしまったこと
寂しかったよね、苦しかったよねってそこにせめて一緒にいてあげて手を握ってあげられたらって思いが溢れてきますが
桜央里さんのいう通り日常で終われた事をいつか幸せに感じれるようになれるといいな。
本当にありがとうございます。
みったん から カタツムリ
カタツムリさん
ありがとうございます。
なんだかありがとうございますだけでは伝えきれないけど心が救われるような気持ちになりました。
父は分かってくれていたかな
申し訳ないけど障害をもつ息子と二人きりで息詰まったり余裕がなくなったり…父に感謝しているのに自分の余裕のなさから父の家の片付けなど疲れて大変だなど色々言ってしまって
本当はもっと快くあげたかった。
文句ばかり言ってたのは全部自分の余裕のなさと具合が悪そうな父が心配で心配なのに心配って言えず文句ばかりいってしまってました。
最後の最後まで文句を言って終わってしまった。
最後もX'mas会に来れなくなった事で息子に暴れられすっかり余裕をなくして父がこんなにも具合が悪かった事に気づけずたった一人で死なせてしまい後悔でいっぱいだけど
楽しかった思い出が沢山沢山よみがえってきました。
息子の誕生日には14才だからって一万四千円くれて
お金もらってもうちの息子は使い方も分からないし私が父に代わって息子が喜ぶ物を買ってきて父にお金渡すよりずっと喜ぶからって歩におじいちゃんから渡してって言って
おじいちゃんからプレゼントをもらって袋を開けた息子は身体をプルプル震わせて喜んでその姿をみたおじいちゃんの嬉しそうな顔、こっちがありがとうなのに美樹ありがとうっておじいちゃんにお礼まで言われちゃいました。
毎週行ってた外食も息子がもりもり食べてると父はとても嬉しそうで私も素直にいつも美味しかったねって言えてました。
年に一度の旅行もいつものお礼に私が宿代払うことにいつも嫌がるので喧嘩になってましたが
一昨年は本当にやすやすなボロ宿とっちゃったので
おじいちゃん足が悪いのにエレベーターすらなくて😱
おんぼろで大して楽しくもなかったでしょ❗私が払うからと言うとおじいちゃんは凄く優しい顔でじじは歩と泊まれれば何処だって楽しいってそぉ言ってくれました。
歩はお泊まり苦手で眠れなくてうるさいし自傷もしだしたりで楽しい旅行ではないんです…楽しさ半分苦しさ半分みたいな旅行なのにおじいちゃんそんな風に言ってくれて本当におじいちゃんに代われる存在っていないだろうなって思います。
言ってることめちゃめちゃになっちゃいましたがおじいちゃんに言ってた文句は私の余裕のなさでそんなところも当たり散らせるおじいちゃんの存在に感謝していたこと気づいてくれているかな…
みったん から まるま
あの、オーブン‼
あの時もほんの1ヶ月保証期間を過ぎてしまい保証してもらえずどっぷり落ち込んでたら父が誕生日だろって
今の買ってくれたんだ💡
高額だからいいって言ったのに😢
大切にしなきゃ…
どぉしよ、また壊れたら自分で買ったオーブンが壊れただけであんなに暗くなる私なのに立ち直れなくなりそうでそこ物凄く自分が怖い😱
みったん

じっくり読みました。
もう、おじいちゃんに対する感謝で溢れた文章。
ちょっと不器用だけど(←違ったらごめんね)家族を大切にする素敵なお父様だったんだね。
すごく伝わったよ。
毎週会っていたんだもん、お父様にもちゃんと伝わっていたと思う。
大丈夫だよ😊
みったん から りまこ
りまこさん( ノД`)…
もぉおじいちゃんはかなり不器用
そしてバカ
私も似てるから不器用で素直じゃなくて可愛くなくてバカ
おじいちゃんね…風邪薬飲んで寝てれば治るって思ってたに違いないんだ。
誰にも具合悪いなんて最後まで言わず
私もバカだからまさか死んじゃうなんて思わなくて
私に知識があったらもっと判断力があったらおじいちゃん死ななかった。
もっと優しくできてたらこんなに後悔しなかったのにな…
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