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もつ焼きやまと。伏見にあったもつ焼き(焼きとん)屋さん。十年近くは通っただろうか、とても美味しいお店だった。ある意味生まれよりも愛着と哀愁のある街京都から人が訪れたとき、あるいは栄で面倒な仕事を片付けたあと、科学館を朝から堪能して最後をプラネで〆た帰り、すれ違いで終わらなかった異性を誘って、どうしようもなく肉に焦がれた日、早く帰るつもりだったが通り雨にやられた夕方、すでにしこたま酒を染み込ませた夜、行きずりの刺激。
などなど。などなど。
モツ。豚のあらゆる断片。言葉のカケラのような。一つのことを考え始めると、一つにとどまらず二つ三つと分かれていく。そんな分類学にも似た。腸ひとつとっても口の側か肛門の側か。後口動物仲間をいただく。チレ。脾臓。レバにも似た、だがより血と鉄。さらに乳。乳といえば、パイ。おっぱい。豚の。サルのも好きだが、これがまた美味。脂の塊、こってりと質感のある脂でありながら、それでいて食べやすい。乳の香。牛の赤身の草と塩とは対極の、乳。私は哺乳類なのだ。
酒の品揃えはあまり良くなかったが、ビールと、焼酎。たまにホッピー。カイピリンニャもあっただろうか?
ああ。無くなってしまったのだ。最後に訪れたのはいつだったか。移転したと聞き、それでもまた間があいた。コロナのこの春に移転先をたずねたが、もはや別の店舗だった。
わたしはいつか、無くなってしまったものたちについて語らねばならないのだろう。語ることが、わたしが語るということが、連綿とつづく言葉たちの端末に過ぎないとしても。
たまたま、縁あって、この店舗があった同じ伏見で今日々を過ごさせてもらっている。非常に面白い、勉強になる、いやより正しく評価するならば、私が豊かになるような人々と。
一時のものなので彼ら彼女らとの繋がりは期限のあるものなのだが、それを今は残念に思う。それ以上に、残りの時間を大切にしたいと。
ひとさえ、ひとにとどまらぬ。
詩人はそう詠んだ。かつては暗唱できた詩のひとつ。なにもかも、ひとにはとどまらぬ。わたしを通り過ぎていく諸々の河。これからもまた多くのものがわたしを過ぎていくのだろう。わたし自身もあらゆるものを過ぎていく。なんらかの微かな痕跡を否応なしに残しながら。
流星は彗星の痕跡という。潮汐でばらばらになり、あるいは火や、巨大なガスの塊に墜落して消えてしまった彗星すらも、流れ星を遺すことがあるという。私もなにかの足跡を、何億光年かの果てまでに遺せるのだろうか?
#和食 #もつ焼き