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カニの身から出るスープ、ナッツから滲むコクと油分、それらを吸ったマッシュルームの味が渾然となるのがこの料理のポイントです。
皮がふやけて破れてしまうと残念なので、具の水分は極力排除するのがポイントになります。
タレも、レシピより少なめでも構いません。
ぴっちり包んであげてください。
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木屋町の四条通り側、真っ青な内装で有名な喫茶ソワレがある辺りに、「ストーリー京都」という、いくぶん風変わりな中華があった。たしか5階だっただろうか。いつもエレベーターで登っていた。
ビルは上から下まで居酒屋で統一されていた。フロアごとに一店舗、一階はイタリアン、二階は寿司、三階は焼肉。と、ジャンルと看板は違うのだが、どの店舗も飲み放題つきで3,000〜4,000-程度、要は若者、主に学生にコンパしてもらうための店である。噂によると、入居しているこれらの店舗すべてが実は同じオーナーのもので、お客を飽きさせないよう和から洋まで様々な店を用意しているとのことだった。この話の真偽は分からないが、本当だとすれば仕入れや従業員の融通などで有利な面も多くあっただろう。
「ストーリー京都」は、その中で中華を担当する店舗だった。ほかのフロア同様、2,000-と3,000-の二種類のコースが月変わりであって、お酒か中国茶をつけても三、四千円でいただける価格設定。木屋町の場末の飲み屋にふさわしい、学生の懐具合でも、月に一度くらいなら十分食べられるような。
ところがである。何がどうなってそんなことになったのかは分からないが、出てくる料理の質がやけに高いのだ。まだ当時の京都では珍しかったヌーベルシノワというだけでもありえないのだが、ひとつひとつに手がかっていて、驚くほど美味しいのだ。
前菜は伝統的なザーサイに、花びらのように薄くしつらえた白身の魚、野菜とミルフィーユしたもの。スープは崩れ身や端切れとはいえフカヒレだったり、ときには白身魚。すっぽん。米粉で編んだ籠に七色のあられをつけて揚げた海老、テーブルの上でやさしい味のソースをかけてくれる。ジュッと香りが立つ。季節にはキノコだったり、あるいは和食に使うようなハモだったり。
これは今思い出せるほんの一例だが、こうした質の高い料理がこれでもかと続くのだ。前菜、点心がいつも何種類か、スープ、海鮮、肉料理、米料理、デザート。七点、八点、もっとあっただろうか? 一皿の量はけっして多くないのに、最後の米料理あたりでいつも辛くなった覚えがある。まだ若く、今よりはるかに食べられた頃のはずなのに。デザートがとくに美味しいことを知っていたので、なんとか最後まで胃袋のあきを残そうとしながら食べていた。
シェフは王さん(ワンさん)と言った。二度だけ、お会いしたことがある。雇われシェフであったことは明らかだが、居酒屋にはおよそもったいないレベルの方が、なぜかこんなところで腕を自由に振るってしまったのだろう。今考えてみても、それにしても原価率どうなっていたのか心配になる。
素材そのものも、相当なものが出てきていたのだから。
ストーリー京都を特異な店にしていたのは、シェフの王さんだけではなかった。この場違いなまでに腕のいいシェフに加えて、こんな居酒屋には場違いなほどに質の高いフロアマネージャーがいたのだ。ホスピタリティというのだろうか、給仕の意味でのサービスか、あれが技術として確かに存在していることを教えてくれたのもあの店だった。
当時まだ二十代でなかったかと思われる、若い男性、日本人の。一度で顔を覚えるのはもちろん、何度目かの来店のときも、それまでに頼んだもの、選んだオプションすべてそらんじていた。その上で今回のおすすめの選択肢や、苦手なもの、アレルギーのあるものの代替、それから今月のコースによくあうお酒、お茶を提案してくれるのだ。あの当時よりはるかに値段の高い店に行くようになったが、あの彼よりも行き届いたフロアマネージャーには、いまだに出会ったことがない。こちらはもう彼の名前も出てこないというのに。
当時必ず一緒に行っていた女性が就職して京都を離れるとなったとき、その最後の晩餐にもここを使った。その彼に、今日が最後になることを告げると、シェフ王さんがわざわざやってきて挨拶をしてくれた。そしてシェフからのプレゼントという特別な料理(アワビの姿煮だった)を作ってくれた。
彼女が京都を去ってすぐ、店は無くなった。やはり採算があっていなかったのだろうか? すぐまた別の、学生向けの居酒屋になった。その彼女とも、すぐに連絡がつかなくなった。
数年後、ある偶然で王さんが梅田に店を出していることを知った。ジャスミン、あるいは茉莉花だったか、そんな名前のオーダーバイキングで、また別の女性と一度だけ訪れた。京都でのことを伝えると、やはり厨房から出てきてまた挨拶をしてくれた。料理は相変わらず美味しかったが、ストーリー京都で味わったような感動は残念ながら失せてしまっていた。味が落ちたわけではないが、どうしても給仕が行き届かなく感じてしまう。あの不思議な店は、たしかに王さんだけでなく、フロアマネージャーの男性の力で成り立っていたのだと実感した。
こちらの店も、一年後にまた行こうとした時にはすでに無くなってしまっていた。その後の王さんがどこへ行かれたかは、もう、分からなかった。
昨年10月に投稿した料理をまた作りました。前回は巻いて揚げた写真で、それじゃ何の春巻きだか分からないので今回は具を撮ってみたのですが、結局何だか分かりませんね😥
#春巻き #再現料理 #中華料理 #晩ご飯
こういうお話読むの 大好きです♡
ありがとうございます!
あまり料理そのものと関係ないただの思い出話みたいなものですが、読んでいただけてとても嬉しいです😊
見直してみたらどこにも言及していなかったのですが、当の春巻きはこちらのお店でいただいたお料理を自分なりに再現してみたものです。
物語のある人生 物語のある料理
味わい深いのはどちらも同じですね!
素敵なお店だったのですね。
ここまでのお店でなくても、いいお店だなぁと気に入ってたお店が、流行っていたはずなのに閉店してしまう事ってよくありますね。私も何軒か経験しましたが、どの店も儲けはあるのかしら?とお料理をいただきながら申し訳なくなるお値段でした。
残念ですよね🥲
とても素敵な読み物、ごちそうさまでした。
お気に入りのお店が無くなってしまうのは本当に残念ですよね。コロナのためか、最近はちょくちょくそんなことがあります😢