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数週間前から
心の中で重くのしかかっていた大仕事が、昨日ようやく。長いこと懸念してきた案件であり、まさに「山場」であった。とはいえ、正確に言うならば、まだ完全に終わったわけではない。提出後に寄せられたご指摘は数多くその中には決して軽視できないものもある。いくつかは、根本から見直しを迫られるほどの内容であり、正直なところ、気持ちは穏やかではない。さらに、諸方面からの叱責も覚悟せねばならぬ状況だ。叱られて当然といえば当然、己の至らなさゆえの結果でもある。とはいえ、最も苦しい核心部分は、ひとまず完了した。そう考えても許されるだろう。いわば、長い登山の八合目を過ぎ、ようやく一息つける地点にたどり着いたようなものだ
そんなわけで
今の私はふぬけ状態。体の芯まで力が抜け、何をする気にもなれない。もちろん、ここで気を抜くことがどれほど危険かは、これまでの人生で嫌というほど学んできた。油断すれば、同じ轍を踏む。気を抜いてだらだらしている間に、せっかくの努力が台無しになった経験など、数え切れないほどある。だからこそ、心のどこかで「まだ終わっていないぞ、ここからが本当の勝負だ」という声が、はっきりと響いている
正直に言わせてもらえば
今日はその声に従う気力がない。どうか、しばしの休憩をお許しいただきたい。ほんの少しだけ、ダラダラさせてほしい。いや、実際にダラダラするつもりはない。ただ、せめて気持ちの上だけでも、力を抜いていたい。そんなわけで、本日のメニューは以下の通り
①かに入りクリームコロッケ
②玉子焼き 牛しぐれ煮入り
③ちくわ、ブロッコリー、揚げなすの麺つゆ炒め
①かに入りクリームコロッケ
昨夜、帰宅途中に立ち寄った近所の西友で、タイムセール中に見つけた逸品である。お値引きシールの貼られた惣菜コーナーを前にして、誰もが一度は立ち止まるだろう。そこに鎮座していたのが「かに入りクリームコロッケ」。3個入り279円のところ、201円。78円引き。「かに入り」という言葉の響きにも弱い。たとえ、どれほど微量であろうとも、かにの身が入っているという事実だけで、幸福感が増すのだから不思議だ
オーブンで
20分ほど加熱し、ご飯の上にどんと乗せ、ソースをかけて白ごまを散らせば、即席ながら見た目も香りも立派な「かに入りクリームコロッケ丼」の完成。口に運ぶと、衣のさくっとした歯ざわりのあとに、ほんのりとしたかにの香りと、クリームのまろやかさが広がる。疲れた心身に、じんわりとしみわたる味だ
②玉子焼き 牛しぐれ煮入り
本日はチーズなしバージョン。家内からの厳重な通達によるもので、「あまりチーズを使うな」とのこと。けっしてケチではない。健康管理上の理由である。糖質を気にする中年男性にとって、乳製品の過剰摂取は敵である、というわけだ。ありがたい忠告であり、これは逆らうわけにはいかない。おかげで、今日は少しあっさりとした仕上がりになったが、そのぶん、牛しぐれ煮の甘辛い味が引き立ち、むしろバランスは良好。サイズはやや小ぶりながら、まとまりのある優等生的な一品となった
③ちくわ、ブロッコリー、揚げなすの麺つゆ炒め
タイトルそのまま、説明不要の簡単メニューである。長野県民にとっての永遠の友、スギヨのビタミンちくわ。これを1本、輪切りにして、冷凍ブロッコリーと揚げなすと共に、ごま油で軽く炒め、麺つゆで味つけするだけ。わずか5分足らずの工程だが、ごま油を加えるだけで香りが立ち、味に深みが出る。以前は電子レンジで加熱するだけの“レンチン蒸し”スタイルだったが、この「ひと手間」が加わるだけで、満足度が格段に上がる。まさに「やめられない、止まらない」味である
手抜きながらも
バランスの取れた弁当が完成した。おかず3品、どれも主張しすぎず、しかし確かな存在感を持っている。ふぬけ状態の朝に、これ以上を望むのは贅沢というものだろう
話を戻そう
今回の大仕事を通じて感じたのは、自分の知識の限界である。ご指摘の中には、私の知識不足ゆえに生じた問題が少なくなかった。年齢を重ねた今、それを指摘されることは、恥ずかしいを通り越して、少々つらい。だが同時に、知らなかったことを知るというのは、やはり刺激的でもある。まったく知らない法理的な考え方や手順に触れたとき、心の奥で「面白い」と感じてしまう自分がいる
知識とは
苦しみを伴いながらも、確実に人を成長させるものだ。頭の中に新しい構造が組み込まれていく感覚。ドーパミンがドバドバと分泌され、心拍数が上がる。新しい発見をしたときのあの興奮は、他では味わえない。だから、たとえお叱りを受けようとも、私はこの過程を幸福だと思う。自分の欠点が露わになることは、恥ではない。むしろ、それを受け止められるだけの度量を得たことが、成長の証なのだ
思い返せば
昨日の苦労も、今日の弁当も、すべては続いている。仕事も生活も、どこかでひとつにつながっている。知識を学ぶのも、味を工夫するのも、「より良く生きたい」という同じ欲求から生まれているのだ。だから今日くらいは、ほんの少しだけ気を抜いてもいいだろう