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手料理
  • 2025/10/23
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【本日の俺飯】

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【本日の俺飯】今週最後!バターチキンカレー弁当だZE!

木曜日
ゆえあって、今週の弁当づくりはこれにて終了、そして完了である。なんとも喜ばしい響きだ。心の底から「よくやった」と自分を褒めてやりたい。毎朝早起きして台所に立ち、黙々と弁当をつくる。それを四日間続けるだけのことなのに、この「終わった」という事実がどうにも嬉しいのだ。人間とは不思議なもので、どんなに小さなことでも「一区切り」があると、そこに妙な達成感が宿る。今週もまた、弁当づくりという小さな戦いを乗り越えたのである


弁当をつくること、つくり続けることは
じつに楽しく、そして喜ばしい。日々の暮らしの中にあって、弁当の時間はどこか特別なものだ。野菜を切る音、卵の焼ける香り、湯気の立ちのぼる鍋。そうした光景が、少しずつ朝の空気を温めていく。眠気と格闘しながらも、手を動かしているうちに気持ちは整い、頭が目覚めていく。弁当づくりは、私にとって一種の「心のリセット」であり、「一日の始まりの儀式」とも言えるだろう


とはいえ、である
それが楽しいだけの行為かといえば、決してそうではない。むしろ「メンドーなこと」でもある。いや、正直に言えば、かなり面倒だ。包丁を握る手を止めて、つい思う。「誰か代わりに作ってくれないかな」と。夢のような話だ。だが現実はそう甘くない。誰も作ってくれないから、自分でやるしかない。そうして渋々台所に立ち、気づけばまた次の日の弁当が完成している。つまり、面倒くささと達成感の間を揺れ動くのが、私にとっての弁当づくりというわけだ


本日はそんな
楽しくもメンドーな弁当づくりが少し楽になる日だった。なぜなら、今日のメニューがあらかじめ決まっていたからだ。しかも、その内容がとても頼もしい


バターチキンカレー
何度も登場しているおなじみのメニュー。家内の必殺技のひとつ。通常、バターチキンカレーといえば、バターと生クリームの濃厚さが命だが、我が家のそれは一味違う。バターの代わりにラクトアイスを使うのだ。初めて聞く人には「えっ?」と思われるかもしれないが、これが驚くほどコク深く、そしてまろやかに仕上がる。バターの重たさがなく、乳脂肪の軽やかな甘みがカレーのスパイスと溶け合って、なんとも優しい味になる


この
なんちゃってバタチキの残りを、今日はありがたく弁当に転用させてもらうのだ。ピーマン、パプリカ、舞茸を軽く炒め、カレーの脇に添える。野菜の彩りがカレーの黄金色と混ざり合い、まるで小さなインドの市場を弁当箱に閉じ込めたようだ。スパイスの香りがふわりと立ちのぼり、それだけで食欲が刺激される。弁当を詰めながら、つい自分で味見してしまう。朝から幸せな味だ


おかず箱には
いつもの常連たちが並ぶ。牛しぐれ煮入りの玉子焼き、ゆでただけのソーセージ。これだけでも十分なのだが、そこにちくわと揚げなす、ブロッコリーの炒め物を加える。ごま油で軽く炒め、麺つゆでさっと味つけ。いつもの「いい加減炒め」である。この「いい加減」という言葉が、まさにちょうどいい。レシピも分量も気にせず、勘と気分で味を整える。そうしてできたおかずが、なぜか一番おいしい。家庭料理の本質は、たぶんこの「いい加減」にあるのだろう


これにて今週最後の弁当が完成した
なんだかんだで毎朝つくり続けた。途中で少しサボりたい気持ちになった日もあったが、結局すべてやり切った。弁当づくりというのは、つくった量や手間よりも、「続けた」ということ自体に意味がある。そうしてできあがった弁当は、食べる人のためだけでなく、自分自身の証でもある。まるで、日記を一つ書き終えたような充足感がそこにある


あと二日で週末
もう少し頑張れば、ようやく休みだ。弁当づくりが終わると、週の終わりが少し見えてくる気がする。木曜日の台所には、疲れと安心が入り混じった独特の空気が漂う。洗い物を済ませ、コンロを拭きながら、「あともう少し」と小さくつぶやく。そうすると、ほんの少しだけ背筋が伸びるのだ


ところが、油断は禁物
ふと冷蔵庫を開けて確認した瞬間、衝撃の事実が発覚した。冷凍ご飯が、ない。まったく、きれいさっぱり、ひとかけらも残っていない。これは大変な失態である。弁当づくりを終えたという安堵の直後に訪れる、思いもよらぬ試練。こういうときに限って気づくのが遅いのだ。もし明日の朝に気づいていたら、完全にアウトだった。おかずはあってもご飯がない。まさに「大惨事」である


焦りながら台所を右往左往していると
家内がひとこと

「炊飯器のタイマー、使えば?」

なるほど、たしかにその手があった。頭の中でバタバタしていた思考が一瞬で整理され、私は炊飯器の蓋を開けた。米をとぎ、水を加え、家内の指示通りタイマーをセット。明日の朝には炊きたてのご飯が待っているという安心感が、胸いっぱいに広がる。まるで小さな奇跡だ


弁当づくりは、単なる作業ではない
面倒であり、同時に小さな喜びでもある。
人が生きるというのは、きっとそういう繰り返しなのだろう。メンドーで、でも悪くない。少しの手間と、少しの工夫で、今日が少し良くなる。そんな日々を積み重ねながら、また次の木曜日を迎えるのだ
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